2015.05.23 カテゴリ:水と言葉

水に関する「格言」など

そして、水の言葉は生まれた。

    「水と人間」をテーマにした、諺や故事・名言が、世界中に多数有ります。水を尊び、水と共に行き、水に笑い、
   そして時には水に苦しめられた人々。そこには、長い間の経験を通して選られた様々な知恵があり、知識の集積があります。
    ところが最近、こうした「水の言葉」が若者たちにあまり使われず、意味も不明になるとともに、水との付き合い方、水との尊さも失われつつあります。そこで、水に関する諺や故事・名言を広く世界に求め、知られざる深い意味を、ルーツを、あらためて解きあかすことを通して、自然環境と人間の生活の調和、水系における環境保全の必要性を考えたいと思います。
    歌人・俵万智さんの、「新しい時代の水の言葉」となる歌をご紹介します。
   「ゆく河の流れを何にたとえても、たとえきれない水底の石」

「水」がつく中国の古書

   【水経注】スイケイチュウ
     〈書物〉四〇巻。北魏ホクギの[レキ]道元レキドウゲン(?〜527)の著。成立年代不詳。
   三国時代、魏のときの著作と思われる古書『水経』に注釈を加えるという形で、中国各地の水路とその流域を詳しく説明した地理書。
   黄河に始まり、長江水系から江南の諸水系に及んで、その全流域の都城・古跡・山川にふれ、古書を多数引用して、漢以来の比較的正確な知識を集大成したものだが、当時まだなじみのうすかった江南の諸河川については、やや不正確な点がある。
   【水滸伝】スイコデン
     〈書物〉一〇〇回。元ゲン末明ミン初の施耐庵シタイアンの著。成立年代不明。口語小説。
   北宋ホクソウ末の1121年に、淮南ワイナンの人民が一揆を起こし、一時はかなりの勢力となって官軍を苦しめたが、やがて降参したという、『宋史』にも記されている事実をもとにして、南宋から元にかけて、講談師たちがその史実を伝説化し、ふくらませていった。それを施耐庵がまとめあげたものが本書である。
   物語は、一〇八人の豪傑が、悪官におとしいれられたり、また、ふとしたはずみから盗賊となって続々と梁山泊リョウザンパクに集結する前半と、討伐に来る官軍を悩ませるが、やがて首領に迎えた宋江ソウコウの裏切りによって、朝廷に帰順し、他の一揆の鎮定を命じられて、次々と死んでゆく後半の二つに分かれる。
    知識人宋江の人間像は平板であるが、魯智深ロチシン・武松・李逵リキなどの無法者の痛快な活躍が生き生きと描かれており、「盗を誨オシえる」という理由で、たびたび政府の禁圧を受けたにもかかわらず広く愛読された。
   指導の誤りが一揆を崩壊させたことは歴史の教訓として中国で重視されている。
   日本でも江戸中期から明治にかけて、滝沢馬琴の翻訳や、建部綾足タケベアヤタリの『本朝水滸伝』などの模倣作・翻案が相ついで出されている。七〇回本、一二〇回本もある。四大奇書の一つ。

「水」がつく格言

   【君子交淡若水】クンシノマジワリハアワキコトミズノゴトシ
     〈故事〉君子の交際は水のように淡々としているが、いつまでもかわることがない。
   【我田引水】ガデンインスイ・ワガタニミズヲヒク
     〈故事〉 自分に都合のよいように物事を行ったり、言ったり、考えたりすること。
   【明鏡止水】メイキョウシスイ
     〈故事〉曇りがない鏡と、波のない静かな水。心に何のわだかまりもなく、静かに落ちついている状態にたとえる。
   【杯水車薪】ハイスイシャシン
     〈故事〉杯の水で、車に積んだまきの燃えているのを消そうとする。ききめのないことのたとえ。「孟子」告子篇上の「今之為仁者猶以一杯水救一車薪之火也=今ノ仁ヲ為ス者ハナホ一杯ノ水ヲモッテ一車薪ノ火ヲ救フガゴトキナリ」から。
   【赴水火】スイカニオモムク
     〈故事〉水や火の中に進入する。危険を冒すこと。
   【不通水火】スイカヲツウゼズ
     〈故事〉日常生活に必要な水や火を融通しあわない。近所の人と交際しない。
   【水随方円器】ミズハホウエンノウツワニシタガウ
     〈故事〉水はその容器の形によって変わる。民が善良であるか悪いかは君主の善悪によることのたとえ。
   【水至清無魚】ミズイタッテキヨケレバウオナシ
     〈故事〉水があまり清いとかえって魚がすまない。人もあまり清廉潔白にすぎるとかえって人がなつかないことのたとえ。「水清無大魚=みずきよければタイギョなし」とも。
   【水交】スイコウ
     〈故事〉水のようにあっさりした交際。君子の交わりのこと。▽「荘子」山木篇の「君子之交淡若水、小人之交甘若醴=君子ノ交ハリハ淡キコト水ノゴトク、小人ノ交ハリハ甘キコト醴ノゴトシ」から。
   【水魚之交】スイギョノマジワリ
     〈故事〉魚と水がきりはなせない関係にあるように親密な交際。「君臣水魚」とも。
   【水清無大魚】ミズキヨケレバタイギョナシ
     〈故事〉水が清く澄んでいればかえって大魚はすまない。人もあまり清廉潔白すぎるとかえって人がなつかないことのたとえ。「水至清無魚=みずいたってきよければうおなし」とも。
   【渇不飲盗泉之水】カツスレドモトウセンノミズヲノマズ
     〈故事〉のどがかわいているからといって、盗泉という名の泉の水は飲まない。どんなに困っていても不正な事をしないことのたとえ。
   【猶魚之有水】ナオウオノミズアルガゴトシ
     〈故事〉魚にとっての水のようなものである。君臣・夫婦などの親密で離れることのできない関係のたとえ。
   【見瓶水之凍知天下之寒】ヘイスイノコオルヲミテテンカノサムキヲシル
     〈故事〉つるべの水の凍るのを見て、冬の来たのを知る。小さな事がらから大きな事がらの道理を知ることのたとえ。
   【白水真人】ハクスイシンジン
     〈故事〉 後漢のおこる予言についての故事。王莽オウモウが漢朝から帝位を奪ったとき銭に金刀と書いてあり、二字あわせると劉リュウ(漢の姓)になるところから漢朝の再興をきらって貨泉と改めさせた。しかし、泉の字をわけると白水となり、貨の字をわければ眞(真)人(りっぱな人物)となることから、貨泉の文字は後漢の光武帝が白水郷(河南省)からおこって漢を再興する予言になったといわれる。〔 後漢書〕 転じて、銭の異名。
   【盂方水方】ウホウナレバミズモホウナリ
     〈故事〉容器が方形ならばそれに入れた水も方形となる。人民の善悪は君主の善悪に従ってきまることのたとえ。
   【背水之陣】ハイスイノジン
     〈故事〉 川をうしろにして陣地をつくり、敵に対する。逃げることのできない、決死の覚悟で戦いにのぞむこと。〔 史記〕 転じて、失敗すれば滅びることを覚悟で、事の成敗を試みること。
   【萍水相逢】ヘイスイアイアウ
     〈故事〉うきくさと水とが出あう。▽旅行ちゅう、偶然出あった人どうしが知りあうことにたとえる。「萍水相逢、尽是他郷之客=萍水アヒ逢フモ、コトゴトクコレ他郷ノ客ナリ」
   【蛟竜得水】コウリョウミズヲウ・コウリュウミズヲウ
     〈故事〉水を好むみずちが水を得る。▽君主たる者が人民を得て威信がそなわったときや、英雄がよい時勢を得たときにそのことを形容することば。「蛟竜得雲雨=コウリョウウンウをう」とも。
   【行雲流水】コウウンリュウスイ
     〈故事〉ただよう雲と流れる水。一定の形がなく種々に移りかわることのたとえ。また、一つの物事に執着せず、物に対応し、事に従って自在に動くことのたとえ。
   【覆水難収】フクスイオサメガタシ
     〈故事〉地上にくつがえした水は、もとにもどすことはできない。一度わかれた夫婦の仲はもとにもどらないことのたとえ。また、物事をするのにつごうのよい時機をはずすと、どうにもならないことのたとえ。
   【覆水不返盆】フクスイボンニカエラズ
     〈故事〉〔国〕容器からこぼした水はもとにもどすことができない。すんでしまったことはとり返しがつかないことのたとえ。
   【遠水不救近火】エンスイハキンカヲスクワズ
     〈故事〉遠くの水は、近所の火事を消す役にはたたない。遠くにある物は、急ぎの役にたたないことのたとえ。「遠水近火」とも。
   【鏡花水月】キョウカスイゲツ
     〈故事〉鏡にうつった花と、水にうつった月。見ることはできても、手にとることはできない美人や幻のたとえ。つかみどころのない事がらのたとえ。
   【高山流水】コウザンリュウスイ
     〈故事〉音楽のすぐれていることのたとえ。春秋時代の琴の名人伯牙ハクガが、高い山や流れる水のことを思って琴をひくと、友人の鍾子期がそれを感じとったという故事から。
   【魚水契】ギョスイノチギリ
     〈故事〉君臣・夫婦などのちぎりの深いことのたとえ。▽「蜀志」諸葛亮伝の故事から。

目からウロコの「水」に関することわざ 

   ●「誘い水」
   井戸のポンプで水が出ない時に、「よびみず」をポンプの中に入れてやると、回復する事があります。
   この「よびみず」は最後の一滴で貴重な水です。「誘い水あらば。。。また「誘い水」は、なにかを捕らえる目的で使います、砂漠ではシンキロ。
   ●「水魚の交わり」
   水と魚の関係から、君臣の間柄の親密なことを言いますが、中の良い夫婦もこれに当たります。
   ●「水を飲んで井戸を掘った人を忘れず」
   革命のために犠牲になった人を忘れるなという意味です、なるほど、井戸を掘る時は水が湧き出て、きっと大変な作業ですよね。
   日中国交回復に尽くした人の意味にも使われます。「水を飲みて源を思え」
   ●「行く川の流れ」
   人間の住みかと命のはかなさの例え、鴨長の隋筆「方丈記」の書き出しで有名です。。。行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。、、、
   流れは尽きない永遠のようであるが、しかし水は元の水ではない。実に永遠に見える水も命も、永遠ではないので大切に!!
   ●雨水・穀雨・小雪・五月雨」
   季節や暦に関係する言葉の中に、なんと水に関係する言葉が多いことでしょう。雨、雪、露など、水の降るを知り、水の流れを知り、水の変化を知って暮らしてきた日本人の知恵が、ここにあります。
   ●「油に水」
   「火に油を注ぐ」
   ●「澄んだ井戸も一匹のどじょで濁る」
   グループをつくる時は注意しなくてはならない。
   ●「川についていけば海に出る」
   深い霧にまかれたり、山の谷間などで仮に道に迷ったりしても、落ちついて行動すれば大丈夫、といかにもスカンジナビアの地にふさわしい戒めです。道に迷っても水が命を守り、川が命を導く、、というわけです。
   ●「春の雨は貴きこと油のごとし」
   中国の農民にとって、春の雨はその年の収穫を左右する大切なものであったのです。春の雨の貴さは、昔も今も、21世紀になっても変わることがないでしょう。
   ●「眠った水より悪い水はない」
   賊に襲われた旅人が、馬で思い切って激流に逃げたら、案外浅くて難を逃れた。また襲われた旅人が、今度は穏やかで淀んでいる流れを渡ろうとしたら、その流れは底知れぬ深さで、馬も人も溺れてしっまた。「声を立てない人々は危険、そうではない人々は大丈夫」という、フランスに伝わる教訓話です。
   ●「男が川なら、女は水たまり」
   アラブの諺。乾期にはカラカラ、雨季には激流と化す川が男性生理の激しさなら、女性はさしずめプールの水。満々とたたえて一見静かに見えます。ところが、一旦セキをきって溢れた水の物凄さは、男ならいずこの国の方もご存じでしょう、、、、。
   ●「雨が降るなら、雲があったはず」
   火のないところに煙はたたず、と同じ意味のアラブの諺です。「約束ごとは雲、実行されて雨」なども、砂漠の民の実感。
   ●「水の恩はおくられぬ」
   日本に伝わる水の言葉で、水の恩恵の大きいこと。「親と水の恩はおくられぬ」「親の恩は送っても水の恩は送られぬ」とも言います。
   また似たものに「水の恩ばかりは報われぬ」。水は人間が生きてゆく上に一日も欠かすことのできないものであり、その恩恵は計り知れない。恩恵の大きいことの例えにも使われます。
   ●「湧く泉にも水涸れあり」
   どんなに湧く泉も、尽きることがある。どんなに多くのものをもっていても、無くなることがあるという、日本の言いつたえです。
   ●「ナイルの水を飲むものは、ナイルに帰る」
   生命の起源とでもいうのでしょうか。インドでは「ガンジス河で水浴びした者は、ガンジスのほとりに帰って死ぬ」といい、ローマではトレビノの泉にコインを投げて、ふただび帰れる祈りにするなど、世界中に水を回帰のモチーフにする例は多いようです。
   ●年寄りの冷水
   年寄りが自分の身体の状態を考えずに無理をするのを戒めた言葉。身体のあらゆる機能は年とともに低下する。したがって、それに応じて行動も制限しなければならなくなる。刺激の強いものもよくない。冷たい水は、年寄りにとって刺激が強すぎるということからきた言葉。